2年前の3月11日午後2時46分頃、私はいつものように《備後屋》の地下郷土玩具売場にいました。お客様に”こけし”のことを聞かれ、ご説明している最中でした。
今までに体験したことのない”大きな揺れ”で、ガタガタっと大きな音がして、咄嗟に私はこけしを持ったまま、店舗出入口から飛び出しました。歩道には他の建物から出て来た沢山の人達が皆不安そうな顔をして立っていました。ちょうどお昼休憩から戻って来たスタッフMちゃんと、お店の前で手を握り合って立ち尽くしていました。近くに下校途中の小学生の女の子ふたりが「こわ〜い」と言って泣きそうな顔をしていたので、その子達も「こっちにおいで」と言って、4人で円になって揺れがおさまるのを待ちました。
暫くして揺れがおさまり、《備後屋》の店内に入ると沢山の商品が倒れ、落ち、壊れていました。その後店内にいらしたお客様数人がいつものように、ちゃんとレジに並ばれて、お会計を済まし商品を買われて帰られました。今思うと、すごく冷静で礼儀正しい方達だと感心します。あの日、大勢の人達が駅のフォームで列を作り、誰も文句ひとつ言わずに並んで電車が来るのを待っていた姿は、世界中の人々から賞賛を受けましたね。
私もイタリア人の友人から、「とても誇りに思う」という内容のメールをもらいました。
日本人って、本当にまじめでマナーを守る、素晴らしい国民ですね。
他の国であのレベルの震災が起こったならば、略奪や強盗が多発していたでしょう。
あの震災の後《備後屋》には、3〜4ヶ月間海外からのお客様は全くいらっしゃいませんでした。でも、少しづつ、少しづつ戻っていらっしゃり、今は震災前と変わらないくらいになりました。沢山の商品が破損したりして、《備後屋》にも大きなダメージがありました。でも、ケガ人が出なかったのが何よりです。
東北や北関東のお取引先でも、多大な被害があったことが耳に入ります。
陶芸のまち栃木県益子町では9割の窯が倒壊しました。益子焼は”登り窯”という斜面等地形を利用した薪窯を主に使用し、地面に直接土で築くため被害を受け易かったのでしょう。益子の登り窯をつくる職人さんは二人しかいないため、全部作り直すには数年かかるようです。
張子や三春駒の産地で有名な福島県三春町の”でこ屋敷”は津波や原発事故の直接の被害はなかったものの、観光客が激減して、観光収入がなくなってしまいました。
三春町は滝桜でも有名なところです。毎年沢山の観光客の方が見物に行かれます。ぜひ、滝桜を見に行かれた後に”でこ屋敷”にも寄ってくださいね〜。
山形の木地玩具を作っている職人さんも、福島産の木が放射能で使えなくなり、木の値段が高騰していて、木が手に入りにくいと嘆いていらっしゃいました。
津波や建物倒壊で被災された方々、原発事故によって避難生活をされている方々、東京にいる私達には想像もできないほど苦しい思いをされている方々が沢山いらっしゃいます。
ここ数日、現在の被災地の様子が沢山テレビでも紹介されていました。まだまだ復興の目処のたたない地区も多いようですね。
皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
月並みですが、一日も早い復興を心よりお祈りしております。
「希望の国」という、希望が無くなる映画を見てきました。
返信削除福島の人々の避難生活はいつまでつづくのでしょう。私どもはこのまま東京に住み続けることができるんでしょうかね。
山形の木地玩具の材料のお話、こういうことが実はざらにあるんでしょうね、知らないことを聞かせていただきました。
(熊金)
未だ地震が頻発する日本列島、本当にこの国は大丈夫なのか?と思いますよね〜
返信削除まあ、心配してもどうしようもないけど。
そんな中での、オリンピック東京誘致に首相まで出て来て歌をうたったりして…
万が一、東京オリンピックが決まったとしても、また大きな地震が来たらどうするんでしょうねえ〜
私の知っている民芸関連の被害情報はほんの僅かです。熊金さんも何かご存知でしたら、教えてくださいね。
あの歌の節は違ってました。この国は大丈夫じゃないでしょう。福島の汚染水どうするんでしょう、たぶん、もう一杯だから海に流します、ということになるんじゃないか、東電も国もそう考えている、と私は思っています。
削除さて、秋田民芸協会の人がいってました。編組品の材料などを一時ためておく小屋がつぶれて廃業、なんて人が数えきれないほどいる、個々の生産額はとるに足りないくらい少額なので、誰も問題にしないまま、ということだそうです。木地玩具の木地、編組品の材料、当事者、関係者以外気がつきませんよね。(熊金)