2018年2月7日水曜日

のごみ人形

2月になりました。
《備後屋》の地下郷土玩具売場のメインのディスプレイを干支のワンちゃんから、
お雛様バージョンに変えました。

先月、《備後屋》の三連休の時に私”ずぼんぼ”は九州に行ってまいりました。
実は佐賀県のご招待で、佐賀県の郷土玩具の工房3ヶ所にお邪魔して来ました。

ちょうど、お雛様も3種類あるので、そのご紹介も兼ねて、
佐賀県鹿島市の”のごみ人形”さんについてお話しましょうね。


ひな人形

土鈴びな

ふくらびな

若き3代目の鈴田清人さんがご案内してくださいました。

まずは、のごみ人形の作り方です。

2つに分かれた石膏の型に粘土を入れ、お人形さんの形を抜きます。
2〜3日乾燥させてから、鈴の玉を入れます。
7年くらいで2トンの土を使うそうです。

鈴は底の部分に穴を開け、型を合わせヘラで丁寧に補正します。
型抜き、補正、焼くのは前田さんの担当です。

この大きなガス窯で焼きます。
50年くらいずっと使っていた釜にガタがきて、去年の夏に替えたばかりだそうです。
「古い窯はガス漏れして、火が逆噴射して怖かったなあ」
同世代の清人さんと前田さんは、笑いながら話してくれました。

この釜で1回に小さいサイズのものだと600個くらい焼ける、
600個揃わないと焼けないので、もう少し小さい窯でもよかったかなと思う。
消防法でギリギリのサイズの窯、これ以上大きくなるとここには入れられない。

朝8時から火を入れて夕方5時くらいまで焼く、
1時間に約100度のペースで上がり、900度くらいまで上がるとのこと。


電気窯は自動で電熱線で温度を上げてくれるけれど、ガスは毎回データを取りながら上がり具合を見ている。
清人さんは、「ガス窯は大学生の時に勉強して使っていたのでわかるんです。」
前田さんも「知っている人がいてありがたいです。」と、
お互いに信頼をし合って、良い焼き具合を日々研究しているんだなあと感心しました。

「電気窯は楽だけど、電源を入れたままにすると電熱線に電気が通っているので下手をすると感電したりする、ガスは火をつけてなければ大丈夫。」
やはり安全第一! 楽をするのではなく、これから長く続けて行こうという清人さんの決心、とても頼もしい!

焼きあがったお人形の色付けは、ベテランのお二人の女性がされています。
お邪魔した時は、来年の干支のいのしし鈴の絵付けをされていました。

焼き加減によって色が変わるんですね?とお尋ねすると、
「大牟田(福岡)と佐賀の土を混ぜているので、混ざり具合によって色が変わるんです。
赤土と磁器の削りカスの土を混ぜていて、白っぽい土と赤っぽい土なので。」
と教えてくださいました。

貝殻を砕いて作られた胡粉に、温めた膠(にかわ)を混ぜて、
白地を二度塗ります。
通常は全体に塗りますが、いのしし鈴の場合は牙と耳の部分だけです。
胡粉も膠も最近は国産のものが手に入りにくくなっているというのを良く耳にしますが、
こちらでも、以前は棒状の膠を使っていたけれど最近は流通されなくなり、輸入の液体のものを使用しているそうです。

温めた膠

最後に、水に何時間か浸けておき良く水気を拭き取った、竹の皮とい草で土鈴の持ち手の紐を付けます。

紐つけまで、お二人で1週間に200個から300個を仕上げられるそうです。
大変な手間がかかっているのですね。

2月の午の日に近くの祐徳稲荷神社で初午祭があり、そこで稲荷駒が売られます。
のごみ人形はそこから始まったのです。
最近はその祐徳稲荷神社でタイのドラマが撮られ、
タイ人観光客が沢山来られているとのこと。

定番の十二支

清人さんが説明をしてくださっていたところ、のごみ人形の2代目であるお父様が工房にいらっしゃり、のごみ人形の成り立ちをお話してくださいました。

工房には、以前日本橋の白木屋(現東急百貨店)でお正月の郷土玩具展に出ていた時に、他の郷土玩具の作り手さん達との交流があり、そこで集めたという郷土玩具が沢山飾られています。

「父の鈴田照次が、戦後何も無い時(昭和20年)に潤いが必要だろうということで
郷土玩具を作り出しました。
最初は木型で作っていて、今も資料館にはその当時の木型が残っています。
 祐徳稲荷神社の宮司さんと親しくしていて、他所から来たお客様に地元で作られたものを差し上げようと思っても、そういうものがなかったので、地元で何か特徴のあるものを作りたいということで、元々民藝が好きだったこともあり、
こういうものを作り始めました。
そうやって作っていったら、だんだん話題になり、郷土玩具の記事に載ったり、地元でみんなに大事にされて、昭和38年にうさぎ鈴が年賀切手に採用されて全国的に広まっていって、なんとかやれるようになったのです。その後も平成3年にひつじ鈴が、平成24年には稲荷駒が年賀切手に採用されました。」

「息子が後を継ぐと言うので、任せています」と仰るお父様。
後継者がみつからず、廃業される郷土玩具の工房が多い中で、清人さんのようにしっかりと伝統を守って行こうとする思い、また現代的にSNSなども利用してのごみ人形を広めていこうと努力している姿に穏やかながらも内に秘めた強さを感じ、
とても嬉しく、なんとも頼もしく感じました。

七福神

命婦、いなり面命婦、ちゃんちゃんこざる、みこ人形、かえり猿


作り手さんはどんな方々なのか、どんな工房さんなのか、
直接伺ってお話を聞きたいと常々思っていましたが、なかなか九州までは…と思いきれなかったのですが、この度はこんな機会を与えていただいて、
本当に幸せでした。

ここれを機にフットワーク軽くして、作り手さんの所にどんどん飛んで行くぞい!
と鼻息荒く誓う”ずぼんぼ”なのでした。


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