《備後屋》の地下の郷土玩具売場に初めていらっしゃったお客様は大抵
「わ〜、すごい!」という声をあげられます。
きっとそれは、赤を中心とした郷土玩具の鮮やかな色にビックリされるのではないかなと思います。郷土玩具にはだるまさんや獅子頭みたいに赤いものが多いです。
なぜかというと、赤は魔除けの色、疱瘡(天然痘)除けの色だからです。
昔(江戸時代)は、疱瘡などの疫病で命を落とす子供が多かったので、赤いものを子供の周りに置いて疫病にかからないようにと、魔除けやお守りにしていたのです。
このように、郷土玩具は”なぜ作られたのか?”という由来のあるものが殆どなのです。
2月23日(金)、東京民藝協会の例会で中村浩訳さんの”郷土玩具の世界③”では、
全国各地の郷土玩具のなぜ作り始められたか?どのような言い伝えがあるのか?
をお話ししていただきました。
今回も本当に奥が深く、盛りだくさんのお話で、
ここでは書ききれないことがいっぱいあります。
最後の方は名前だけのご紹介になりますが、ご了承くださいね。
多くの郷土玩具にはいわれや目的があり、それが郷土玩具の成り立ちにつながっています。ここが外国のおもちゃとちがう、日本独自のもので、私達日本人が自慢できるこ
とではないででしょうか。今日はその成り立ちを紹介いたします。
■郷土玩具の言い伝え(伝説)から
郷土玩具を求めると、小さな解説書がついてくることがありますね。そこには、郷土玩具の成り立ちと作者名(又は販売店)や住所などが書かれています。
この成り立ちには伝説が多いのが特徴です。
子どもにあたえる地方で作られてきた「おもちゃ」が、郷土玩具と呼ばれ商品として売られるようになると、付加価値をつける為にそのような話が作られ、解説書に書かれることもありました。さてその伝説とは。
■民話から
●巴波(うずま)の鯰(栃木市)
2つのしゃもじを紐で結わえて黒く塗った鯰。持ち上げると赤い口が開く。江戸時代に、日照りの川に苦しんでいた鯰を農婦が助け、巴波川に放してやった。
するとにわか雨が降ってひからびた田畑が潤った。数年後農婦の子どもが巴波川に落ちておぼれた時に、たくさんの鯰が現れ助けてくれたという、300年前から土地に伝わる恩返しの民話から、土地の人はひしゃくに鯰の文字を書いて子どものお守りにしたという。
戦後、栃木に住む、郷土玩具研究家・村山東昌がこれを郷土玩具に考案した。
村山は郷土玩具友の会を創設、「おもちゃ」という機関誌を発行し、
地方の創生玩具を考案・推奨し広めた人物。
★子どものお守りにするため、しゃもじを鯰にした。今は地震除けのお守りにされる。
・鯰を扱った郷土玩具
●大垣の鯰押さえ(岐阜県)
・5月14,15日の八幡神社の祭りに引かれる10台の山車のうちの一つから。瓢箪を持つ道外坊という老人が逃げ回る鯰を瓢箪に入れようとするが、とらえられない。自然にはとうてい力がおよばない人間の非力さを表す。明治初年にこれを糸からくりで玩具化した。人形は道外坊も有河、一般的には、青砥藤綱という根気の良い鎌倉時代の武士に変わっている。
江戸期からある。大津絵の「ひょうたんなまず」がヒントと言われる。
おなじ「ひょうたんなまず」を扱ったものに・青森人形や大津絵土鈴がある。
■寺社の授与品
●嫁脅し面(福井県坂井郡)
信心深い嫁を驚かせようと、鬼の面をかぶった嫁いびりの老婆が、よこしまな心から面が顔から離れなくなり、仏の力で面が外れ仏門に帰依をしたという仏教伝説から。吉前御坊願慶寺で授与された土製の面。寺では「嫁脅し肉付き面」の実物?を拝見できる。ネット情報だが、昭和天皇にも写真が献上されたという。郷土玩具にないグロさ。
★お寺の宣伝の効果をあげる授与品。
●浦佐の猫面(新潟県)
大和町(南魚沼市)浦佐の普光寺毘沙門堂にすみついた猫が年をとって化け猫になり村人を喰った。修験僧がやってきて片目のあんまに化けた化け猫を村人と共に「サンヨ!サンヨ!」という掛け声で退治した。そこから掛け声の裸祭りがある。門前に彫られた左甚五郎作を原型とした。豊作や災い除けの祭り。日本三大奇祭の一つ。
化け猫伝説から生まれた魔除けの張り子面。
★お寺の宣伝の効果をあげる授与品。
現在は画家が復活、大小あって可愛いくなっている。無印缶詰に入れられたり、
ミニチュア化されたりしている、
●宇津ノ谷の十団子(静岡市)
静岡市の西にある宇津ノ谷の谷にあった寺の住職が難病にかかり、小坊主に膿を吸わせて直したが、小坊主がその味から人肉の味を覚え鬼となって旅人を襲うようになった。そこで宇都宮の山奥にある地蔵菩薩が、旅の僧に化け鬼と対決、十粒の小粒の珠で退治。10粒の房が9本で「九十苦難除け」の守りとして門口に吊るす。江戸時代にあっかれた「江都二色」に掲載されている古くから伝えられる物。
★疱瘡、発疹、はしか除け。交通安全、盗難などの災難除け、お守り。
かみ砕いて塗ると効果があるという。旅行の携帯食品。
最古ともいわれる、原始的な郷土玩具(お守り)。
■借り物のお守り
●いちろんさん(静岡市清水区)
源為朝がこの地から伊豆大島に遠島を命じられたときに、世話になった稲荷神社に笠と石の印を奉納したことから、子どもに笠をかぶせて夜泣きのおまじないをするようになった。後に昔から作られていた、笠をかぶった首人形がその役目をするようになった。やがて、首人形を稲荷神社に奉納、虫封じのおまじないとする。1本神社から借り受け、病が治ったら2本にしてもどす。首人形の作者・堀尾市郎右衛門から「いちろんさん」と呼ばれる。静岡市の祝い鯛で有名な沢屋さんでも作られていた。静岡市では、木偶の坊から「デッコロボウ」と呼ぶ。堀尾家の当主が中風で製作中止、沢屋は首人形は戦前に中断、店も現在廃業と淋しい状況になっている。
余談だが、浜松在住のころに沢屋に行って大きな店構えと思っていたのが、おとなになって再び訪れた時に「あれ!?」と思うほど小さな家だった。これは𠮷徳にいる林学芸員も同感だった程。
★虫封じ
八丈島の為朝凧(為朝が伊豆大島から八丈島に渡ったという伝説から)
高校生の時に納めたいちろんさんをもらいに行った。今は納めたものは祠に納めてあるが当時は門前の竹筒に指してあり、いっぱいになったら、寺で地面に埋めたそうだ。その時は清水以外に静岡の物も納められていた。これは今も手元にある。
応声教院の弘法大師(静岡県菊川市)
855年(平安時代)創建の古い寺。木彫りの弘法大師像を1体借り受け、子どもが授かったら2体にして返す。郷土玩具の本にも余り紹介されていないが、ある時ネットオークションに出たので驚いたことがある。
片葉の芦、三度栗の遠州七不思議の2つ。
★ 子授け祈願
兄夫婦が子どもができないので、二人で行き借り受け、兄夫婦は子どもが授かった。その時独身の私も一体授かりそれは蒐集品と化す。
■祭礼から
●四日市の大入道(四日市市)
昔、醤油屋の土蔵にすんでいた古狸が大入道に化けて旅人を化かした。
これを退治するめにさらに大きな大入道を作って狸と大きさ比べで対抗したことから生まれた。夏の大四日市祭りの諏訪神社の山車に登場した大入道を玩具化。江戸時代からあり、戦前は二〇台の山車があった。現在は大入道とクジラ船の山車がが現存、山車の大入道は高さ5mを越す。張り子や瀬戸物の山車のおもちゃがあり、これはは高値で取引されている。
★伊勢参りの土産品。
●すすきのみみずく(東京都雑司ヶ谷)
病気になった貧しい親のために鬼子母神に願掛けのお参りをする娘に、満願の夜、夢に出現した神がすすきでみみずくを作りそれを売って薬代にするよう告げた、という伝説から。秋の御会式の日に売られ、やがて常の土産品ともなる。初めはすすきのみみずくではなく、麦わらの角兵衛獅子、川口屋の飴を土産とした説もある。みみずくは昔は3人ほど作者がいた。今は露天商と保存会が制作。露天商を川口屋という。境内の駄菓子屋は日本最古といわれ、上川口屋という屋号。最後?の作者・屋シダやが引っ越す。保存会ができる。廃絶か?
★参拝土産。
■招き猫〈縁起物〉
●豪徳寺の招き猫(東京都世田谷区)
門前にさしかかった彦根藩主・井伊直孝が手招きしたネコにさそわれて豪徳寺の寺内に入り、そのおかげで雷の難を逃れたことから豪徳寺を井伊家の菩提寺としたた。福を招いた招き猫に願を掛け、成就した寺に納める。招き猫のルーツのひとつになっている。もう一つのルーツは水商売の店先の招き猫。井伊というと。昨年の大河ドラマを思い出します。舞台名わが母の故郷に近い静岡県井伊谷。しかし観光資源のない悲しさ。カイドウは旗がむなしく旗めいているだけ。せっかくの大河ドラマが故郷に金を振らせなかった。
家内安全、商売繁盛のマスコット
今戸神社の招き猫(東京都台東区)
昔から作られている今土焼きのからわら生まれた今戸人形のひとつの招き猫が、今戸神社の授与品として大人気。これは『東京ウオーカー』の表紙に取り上げられたこと、今戸神社の次女の宣伝上手など、折からの招き猫ブームにものり、女性の人気物となった。今戸神社の良縁のマスコットとして行列をなす。今戸神社は沖田総司の終焉の地ともいわれている。これは、結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきている。
いつぞやの夏、浅草の富士神社の富士山山開きの日に麦わら蛇を求め、植木市を見学、時間が余ったので、看板を片付けている地元の方にどこか暇つぶしの所はないかと尋ねたら今戸神社を紹介され、そこで招き猫を変えたらラッキーですよ、といわれました。
★ 良縁祈願
その他神社で授与される縁起物には、東京ですと、七福神があります。墨田、山手、品川、多磨などの神社に七福神をなぞらえ7箇所を巡り最後の神社で宝船を求めます。昔まだ浜松の田舎物だった私は、兄と山手七福神(新宿周辺)を求めるのに、地理が分からずタクシーで周りました。高い七福神のセットだったのでしょうね。それはどこかへいってしましました。そこで思い出したのが、正月の日本橋・白木屋の郷土玩具即売会です。
■赤いおまじない
●奉公さん(高松市)
髙松に古くから作られる、土人形や張り子のひとつ。
大きなお屋敷の奉公にあがった少女・まきが、熱病にかかったお姫様の身代わりになり病を身に移して島に流されたという伝説から。昔は病気にかかった子どもに奉公さんを抱かせ、病平癒を祈った。赤い着物の色が疱瘡除け。髙松張り子は梶川、次女の宮内フサ、その娘のマサと受け継がれ、現在はマサの二人の娘さんが一人は張り子、一人は土人形と分業しています。先だって新宿の伊勢丹で髙松の物産展があり、その土人形も出品されていました。作者が廃業するという噂を聞いていましたので、つい二点ばかり購入してしまいました。収集家のさもしい性ですね。
★魔除け、病除け。
● 赤べこ(福島県会津若松市)
昔、岩津の虚空蔵様の造成にいずことなく表れた牛が石材を運ぶ手伝いをし、やがて 石像になって虚空蔵を守ったという伝説から生まれた張り子のおもちゃ。赤く塗り、疱瘡除けのお守りとした。おもちゃと病気除けの格好の郷土玩具。
★疱瘡除け
会津張り子は江戸時代からはじまる、東北最古の郷土玩具といわれ。昔は会津駅前にあり。やがて都市計画で離れた所に引っ越し、養子を迎え店舗を兼ねた製作所で営業をした。やがて養子がなくなり横浜に住む孫が戻り再開したが結局廃絶。
だるまが赤いのは疱瘡除けのまじない。これを語ると長い!!
このようにいろいろな成り立ちから郷土玩具が生まれたり、郷土玩具にいろいろな成り立つがつけられ、やがてお守りなっていきます。
■お守りから 豊かな暮らしを願う
*馬の健康を祈る ●三春駒(坂上田村麻呂の伝説を伴う)●武州上岡の絵馬、
*大漁を祈る ●高知の鯨舟
*商売繁盛 ●豪徳寺の招き猫 ●待乳山の貯金玉 ●はったつの猫
*豊作を祈る ●小坂井の風車(愛知県)羽が六つの俵の形をしていて無病
●七夕馬(千葉県)
■日常の幸せを祈る 鷽 蘇民将来
*縁結び 青島の紙雛
*子授け 嫁入り人形 瓦猿
*子孫繁栄 木の葉猿
■願い事から
*子どもの健康を祈る 浜松の凧 尾道の田面舟 笊かぶり犬 伏見の土鳩 土笛
八朔の馬 八幡神社の軍配 気比神宮の桃太郎 金沢の八幡起き上がり
*病気除け 神農の虎 赤べこ 笹野才蔵 鴻巣の赤物 草津の猩々 いちろんさん
瓦牛 奉公さん 萩日吉神社の猿
*疫病除け 麦藁蛇
*魔除け 高岡の獅子 沖縄の矢数 まどぶつ
*智恵 真弓馬
*安産 西尾の犬 犬張り子 ぼんでん 法華寺の守り犬 金天だるま
*習字の上達 天神
*出世願い 伏見の撫牛
*幸運を願う 柳森神社の親子狸
■安全を願う
*家内安全を祈る 会津の起き姫
*どろぼう除け 犬っこ 王子権現の槍
●雷除け 千木はこ
*航海の安全 二見浦の蛙 さっぱ舟 三角だるま
*災い除け 弾き猿
*火災除け ぽんぽこ槍
*トイレを守る 便所の神様 きびガラの姉様
*厄除け 竜泉寺の串
*災いの身代わり 友引人形
*豊蚕願い だるま(やがて諸願のマスコットになる)
■お祝い(年中行事、祭り、郷土芸能)から
1月 竹田の女だるま(大分) 会津の初音(福島) ぼんでん(秋田)
2月 えんぶり(青森)王子の火防凧(東京)鬼面
3月 流し雛 雛人形
5月 節供人形 かなかんぶつ(山梨)昇り猿(岡山、宮崎)鯉のぼり
木牛(新潟)
7月 住吉踊り(大阪)七夕馬・ まこも馬(関東)
8月 ねぶた(青森)山鹿灯籠(熊本)
10月 祝い鯛(静岡) 素隠居(岡山)
11月 富山の福徳(富山)
面、山車、ちょろけん(門付け)
■遊びのために
きじ馬 イタヤ馬 日光の茶道具 こけし 羽子板 姉様 手鞠 おかんじゃけ
アケビ細工 板すもう 竹蛇 独楽 からくり 凧 面 泥面子 首人形
板すもう
■土産(物産)から
人形筆 人形墨 人形硯(郷土玩具の人形文具として珍重されている)
竹細工 麦藁細工
■地元の産物から
木くず・鴻巣の煉り物 御坊の練り物 伊勢の煉り物
糸くず・糸鞠 藁・藁馬 下駄の余り木・火坊の獅子(栃木県)
日本ではお守りや伝説を持って玩具が作られた。
収集家は数を沢山持ちたかったので、神社やお寺で売られているものでも、
おもちゃっぽいものは郷土玩具に入れてしまった。
このように郷土玩具に種類、地方色、曰く因縁があるということは
世界に誇って良いのではと思う。
松本白鴎
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