備後屋は2021年11月2日(火)より営業時間を30分延長し、
10:00 から 17:30まで営業いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
先週栃木県鹿沼市のきびがら工房の増形早苗さんがご来店になり、兼ねてからお願いしていた、きびがら細工の”夫婦酉”・”夫婦鶴”・”九尾の狐”を届けてくださいました。
ちょうど先日私”ずぼんぼ”は那須に旅行に行き、殺生石で「殺生石と白面金毛九尾の狐伝説」の案内板を見つけ、おお!ここだったのか!と感動していたところでした。
十数年前までは那須には毎年行き、殺生石にも毎回通っていたのに、九尾の狐伝説は頭に残っていなかった⤵️ 郷土玩具売場の担当にならなければ、もしかしたら一生興味を持たなかったかもしれません。
さてさて、白面金毛九尾の狐伝説とはどないな話なん?
(以下、案内板に書かれていた通り)
殺生石は、白面金毛九尾の狐伝説として知られ、インド、中国そして日本の三国にまたがる雄大な歴史を背景に、美女や妖怪、宮中人などが登場する怪奇で広大なスケールとして描かれています。また荒凉たる殺生石の情景は多くの文人たちによって数多くの文学作品として紹介され、全国的に知られる史跡の一つとなっています。
話は平安初期の鳥羽帝の御代。インド、中国を荒らしまわった九尾の狐は、やがて日本に渡来、「玉藻の前」という美女に化身し、帝の寵愛を受けるようになりました。帝の命を奪い、日本を我がものにしようとした玉藻の前は、陰陽師の安倍泰成によってその正体を見破られ、白面金毛九尾の狐の姿となって那須野が原に逃げ込んだのです。
これを知った朝廷は、上総介広常、三浦介義純の両名に命じ九尾の狐を退治させました。狐は死して巨石と化し、その怨念は毒気となって近づく人や家畜、鳥獣をも殺し続けたのでした。
室町時代になって、これを伝え聞いた名僧源翁和尚はこの地を訪ね、石に済度、教化を授け、持っていた杖で一喝すると、石は三つに割れ、一つは会津へ、一つは備後へと飛んでいき、残った一つがこの殺生石であると伝えられています。
ここで、備後が出てくるとは!備後地方にも殺生石があるのか⁈
調べてみると、備後屋元店主の故郷広島県ではなく、現在の岡山県真庭市勝山の化生寺の境内にあるそうです。(もしかして備前?)
会津の方は、会津美里町の殺生石稲荷神社にあるのだそうです。












0 件のコメント:
コメントを投稿