2023年3月4日土曜日

ずぼんぼの休日

あっという間に今年ももう2ヶ月が過ぎ、3月に突入しました。
「数少ない備後屋の休業日をどう過ごすか」毎回思案のしどころです。
貧乏暇なし!スケジュールを詰め込みます。

2月のお茶のお稽古に着た着物は、大島紬のアンサンブルです。
実はこの着物、父の形見の着物と長襦袢を仕立て直してもらったもの。
羽織は直さず。男物の中羽織なので丈は私の膝くらいあってちょうど良い。
たもとが閉じているのはご愛嬌。
見る人が見れば、男性用だってすぐわかっちゃいますね。

帯は芹沢銈介先生の手描きの”いろは”

羽織紐はうちにあった古いとんぼ玉で作りました。

トレードビーズと呼ばれるヴェネチアのとんぼ玉。





三連休には、日本民藝館へ生誕100年・柚木沙弥郎展を観に行ってきました。

広々としたスペースに、柚木先生の作品と一緒にたくさんの蒐集品も散りばめられていてとても素敵です。


柚木先生は100歳になった今も精力的に新しいものに挑戦していらっしゃいます。
カップや食器のテーブルウェアなど、そしてリトグラフ。
でも、やっぱり真骨頂は型染です。

柚木先生の型染のタペストリーや暖簾や額絵は、備後屋でも10年くらい前まで沢山あり、私も何十枚いや何百枚も販売しましたが、現在はお取り扱いしていません。
(現在他店で販売されているものはシルクスクリーンです。)

今も備後屋には、「柚木沙弥郎さんの作品はありますか?」というお問い合わせをたくさんいただきます。
こんなに需要があるのに、なぜ柚木先生は型染めの作品の販売をやめてしまったのだろう?
ずっとそう思っていました。

今回の企画展を観て、そして日本民藝館所蔵「柚木沙弥郎作品集」や雑誌「民藝」2023年1月号「柚木沙弥郎のいま」を読み、その理由がわかりました。

柚木先生の型染は中込理春さんという方が1956年に15歳で助手となり、60年以上ずっと一連の作業を担ってこられました。
先生は中込さんに一点一点ものすごく細かく指示されます。中込さんの頭の中は先生の望み通りにしなくちゃいけないということでいっぱい。お酒を飲んでいてもそればっかり考えていました。先生の思うようにいかなかったらと考えると夜も眠れませんでした。
でも、作品が思い通りにならなくても、先生は任せた以上は中込君の仕事だからというお考えだったし、先生が大きな声を出したり、強い言葉で言われたこととか、そういう経験は一度もないのです。
よく例えで、中込さんは先生の片腕と表現されてていることがありますが、片腕どころか両腕かもしれない。中込さんの仕事はバロック音楽の通奏低音のように先生の仕事の下に流れているのです。

先生「僕の染色に関する仕事というのは、パターンだけを考えるのでは駄目なんだよ。布とのしっかりした結びつきみたいなことが大切。染料とやり方と素材である布、それが布の上で結合して、そこに模様が出ている、というふうな捉え方が必要。」

中込さん「先生は最終的に赤と黒、それで大きな模様を黒い紙に切り抜いて染める。その黒と赤の染料がもう後一回染められるかどうかというくらいまでなくなってしまって染料屋さんにもその染料がない。僕の目が悪くなって見えないから、もう糊をつけられない。タイミングがいいのか、先生がお年をとるとともにそういった材料がなくなるという‥‥。言い換えれば、先生が染料を使い切ったということもあって、運命のような気がする。」

先生は中込さんに全幅の信頼を寄せていて、先生の作品を染めるのは中込さんでなくてはならなかったのですね。

日本民藝館での柚木沙弥郎展は、2023年4月2日(日)まで開催されています。
私ももう一回観に行きたいです。
今度は、柚木先生と中込さんの作業している姿を想像しながら、一点一点じっくりと観てこようと思います。




 

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