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年末は忙しく、ゆっくり本を読む時間も無く、”民藝”の2020年12月 816号が気になりながら手付かずになっていました。先週東京に緊急事態宣言が出され、じっくり読む時間ができてしまいました。
816号の特集は「黄八丈 八丈島の織物」
これを読み、私は黄八丈の着物を持っていて愛用しているのに、黄八丈のことは上っ面しか知らなかったのだなと思い知らされました。
江戸時代には米が少ししかとれない八丈島では、特産品である黄八丈が年貢として納められていたとのこと。
黄八丈の糸の色は黄・樺・黒の三色のみで青や赤が無い。藍色が無い産地は日本中で八丈島だけです。柳宗悦先生は「黄八丈が全て美しいのは色が少ないからである」と記されています。デザインはシンプルが一番で、色は少ない程そうなるから理に適っているのだという。又、絣が無いことも黄八丈の特徴。つまり絵模様の無い縞と格子のみで、これ以上簡素な柄は無いのです。
黄八丈は全て人の手によって織られています。緯糸を飛び杼と呼ばれる道具で、上下に開閉した経糸の間を左右に移動させながら、糸を打ち込んでいきます。
黄八丈の真価は染色にあり、特に黄色の美しさが問われます。この黄色はコブナグサ(カリヤス)というイネ科の一年草で染められています。北海道から沖縄まで日本中に自生しているが、これで染色をしているのは八丈島だけ。八丈島ではこれを栽培しています。9月末から10月初めに刈り取った草を3日間かけて干しあげ、染料を煮た液(フシ)に糸を翌日まで浸け、朝絞って干すということを5回から10回繰り返します。それを椿と榊の生の葉を焼いて作った灰で媒染して、深みのある黄色に仕上げます。
樺染にはタブノキ(マダミ)の皮を使います。生皮でないと色が出ないので保存はできず、使う時その都度木を切ります。十数回の下染の後、木灰汁で媒染し、更に下染を数回重ねた後2回目の媒染によって仕上げます。
黒染の方法は樺染と同じですが、数年乾燥したスジダイ(シイ)の皮を用いて泥染の工程が入ります。シイの皮で数十回下染の後、沼田の泥に浸け、更に4〜5回染め、2度の泥染で終わります。黒に染めた糸は時間の経過と共に傷んで織りにくくなるので、長く置くことはできません。
江戸時代、黄八丈は一般庶民には手に入らない代物という記述があり、大奥に納められ、一部の人しか身につけることのできないものでした。大島、結城などと比べて見ても、黄八丈は着たいが手に入らないのが実情でした。代わりに綿で黄八丈に似せたものが広く出回り、そのことが黄八丈=普段着という認識を生んだようです。しかし絹織物が普段着であろうはずがありません。ならば、普段着と言われた黄八丈をハレの日にも着られるものにしたいと、柳悦孝先生に師事し、織りも今までと違うものを無地や絵羽等に使いました。おしゃれ着と呼ばれるまで五十年かかりました。
と仰るのは、東京都無形文化財技術保持者・山下めゆさんの孫で山下八百子さんの娘、山下芙美子さんと夫の山下誉さん。お二人で”黄八丈めゆ工房”を営まれ技を受け継ぎ、本来なら二分業制で行う染と織を一貫して行っています。
八丈島でとれる自然の素材だけを使い、変わりやすい天候に左右されながらも昔ながらの製法を守り、作り続けられている本当に貴重な紬です。
こんな貴重な山下めゆさんの着物を着られるなんて、なんて私は幸せなんでしょう!約40年前に着尺を買い誂えてくれた祖母や父母に感謝です。
こんなに時が経っても全く色褪せず、シャキッとした張りのある風合いは、袖を通す度に気持ちを上げてくれます。
”民藝”に面白い写真が載っています。
第一回の「黄八で銀座 」銀座四丁目交差点にて 黄八丈を着て銀座を歩くイベントが2010年から一昨年の12月まで開催されていました。わぁ、これ知ってたら参加したかったなぁ〜 今年の年末にはどうかコロナ禍が鎮静して、「黄八で銀座 」再開できますように!





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